初めて「じいじ」って
言えたね。
またおもちゃ一つ増えるね。
今日のひめくりカレンダーはこれ。
これを論文風に分析していく。
1歳半で「じいじ」と言えた女の子。
この論考ではまず、「じいじ」という名前が言えたということは、どういうことかを分析する。
次に、おもちゃが一つ増えるということはどういうことかについて分析する。
最後に、この文全体から読み取れるメッセージについて論じる。
「じいじ」って呼んで
「初めて「じいじ」って言えたね」
「じいじ」という名前が言える。これは、禿げた(と思われる)人間を「じいじ」と呼ぶことに女の子が決めたということ。
もちろん「じいじ」という言葉は、彼女自らが作り出した音の並びではなく、禿げた当人や周りの大人が動作を交え、これが「じいじ」だよと教えたから言えたに他ならない。
女の子は、この禿げた動く物体は「じいじ」と言うらしい、では「じいじ」と読んでみよう、と思い「じいじ」と発声した。
するとどうだろう、まわりが朗らかな笑い声で賑わったではないか。
うん、「じいじ」って呼ぶと何だかたのしいわ、この禿げた人は「じいじ」と呼んでいこう。
こうして女の子は、禿げたこの人に「じいじ」というタグをつけて脳内に保存したのである。
物理的存在を脳内ネットワークへ。
ちなみに「言えたね」という文末の言葉は、できなかったことができるようになる「可能」の意味を含んでいる。周囲が、言うという行為をできる/できないとカテゴリーを真っ二つに分けているのだ。大人がおとなの価値観により、評価しているとも言える。
おもちゃって、ひどいなぁ
「またおもちゃが一つ増えるね」
「じいじ」と名付けられた者がなぜおもちゃなのか。これについて分析する。
おもちゃとは、
1. 子供が持って遊ぶ道具。がんぐ。
2. もてあそぶためのもの。なぐさみもの。
と辞書にある。
もちろん、子どもが扱うおもちゃは、第一の意味として、遊ぶ道具なのだろう。
しかし、おもちゃというカテゴリーに「じいじ」という一人の人間を入れるには違和感がある。
なぜなら、本来、おもちゃという物は、支配できるもののことを指すからだ。女の子と「じいじ」では「じいじ」の方が知恵があり、力も強い。第一の意味において「じいじ」はおもちゃにできるものではない。
この違和感は、おもちゃの第二の意味、もてあそぶためのもので、見事に解消される。
すなわち、女の子は「じいじ」と言うことで、「じいじ」の気を引いて、「じいじ」の行動を制限、つまりはもてあそぶことができるのである。
なるほど、それならば「じいじ」は、弱い立場を利用した女の子にもてあそばれる「おもちゃ」たりえる。
さらに、「また一つ増えるね」ということは、この女の子は、他にももてあそぶ存在か、道具としてのおもちゃをもっているということになる。
そうか、おもちゃには、二つの意味カテゴリー(道具としてのおもちゃ、もてあそぶ対象)があり、一つ増えたねというのは、この二つの意味カテゴリーを合わせた総数が増えるねと言っているのだな。
このまとめ方により、悲しい哉、「じいじ」は道具としてのおもちゃと同列に扱われることになったのだ。
「じいじ」との関係
最後、上記二つの文からなる文全体を俯瞰すると、以下のことが見えてくる。
「じいじ」と言えると、遊び道具が増える。
↓
何かができるようになると、使えるものが増える。
女の子は、適切に言葉を使えるようになったことで、大好きな「じいじ」との関係を(わずかかもしれないが)、改善することができたのだ。
「孫娘の野望」は、そんな感じ。
fin.