Do-Ryoku!


Bonjour、ノタキラです。

毎月、書くことを最低限のノルマにしてブログを書こうと思います。
(毎日じゃないのがポイント、できることから始めます)

なるべく文章をまとめる機会を作った方がよいのではないかと思いつつも、できない。
やりたいことをやるべきと最近の本やYouTubeなんかでは言われていますが、やりたいけどできない問題ってありますよね。
ノタキラの場合、ブログがそれです(本当か?)。

目標に向かって努力

それでは、今日のテーマは、目標に向かって努力すること

みなさんは目標はありますか?

目標というと、TOEICで900点を超えるとか、彼氏彼女を作るとか、いまよりもいい条件のところに転職する、体重を10kg減量する、なんてわかりやすい目標があります。
その目標を達成するには、いまのままでは叶わないから努力して、今の自分から変身するわけです。成長ともいいます。
TOEICであれば、現状のリーディングパートの文法ができていない状況を変えるために、文法問題を毎日解くことに決めて努力するなんかが努力の方向性としてあると思います。

そういう努力を続けて初めて900点という目標を達成できるわけです。英語圏の帰国子女など生活の積み重ねでとれちゃう人は、それまでの生活が「努力」ですから、この例には当てはまらないかもしれません。なので、例外扱いで。

点と点を結ぶ

つまり、目標を叶えるためには、いまやっていることの延長線とは違うところに点を打ち、現状とその点を結んだ線に乗る生活を送らなければならないということです。

もちろん、その線が直線に近ければ近いほど、効率的に目標に到達することができるわけです。ですが、ちょっと考えてみてください。

その点にたどり着くのには、最短でした。しかし、次のさらなる大きな目標の点からすると、もともとの現状の延長線上の方が近かったんじゃないのってなることもある気がするのです。

じゃあ、どうすればよいのよ!って思うかもしれません。

点と点と点を結ぶ

ここからはノタキラの私見ですが(これまでも私見だろよ)、あえて目標の最短距離ではなく、寄り道を入れるということです。

そもそも目標に向けて一本の線を進むのは、シンプルで理にかなっていると思えるかもしれません。でも、よく考えてみてください。
起きてから寝るまで、英語の勉強だけしている人がいますか。そんなんで生活が続きますかと。

実際、目標を一見、最短距離で達成したように見える人も、食って、仕事して、家事して、寝てるわけです。英語だけやってたなんて嘘です。
いままでの余暇を目標に向けて努力する時間にしたに過ぎません。

では、目標とはそもそもなんなのでしょうか。

目標とは?

いまの生活の範囲でできそうなことに時間と労力と金銭のリソースを割くことだと「一般的には」認識されているとノタキラは思うのです。
一般的には、と付け加えている理由は、ノタキラは、実はちょっとこんな考え方もどうですかと提案したい気持ちがあるからです。
ノタキラと勘の近い方は、お分かりになっているかもしれませんが、これまでの話でぜひ考慮していただきたいポイントが3つあります。

ポイント壱

一つ目は、目標は、他の人にわかりやすい大きなものでなくてもよい。

目標は、爪をきれいにするでも、毎日トイレ掃除をする、肩甲骨を使って歩けるようにするなどの具体的すぎて、他人にとってメリットがわかりにくいものでもよいのです。
そういったプチ目標(petitってフランス語で小さいって意味。プチトマトは商標登録のため、ミニトマトらしいよ)をちょこちょこ達成していく生活こそが、楽しい生活、人生につながると思います。
小さな行動でもできるようになったら成長ですし、これらがたくさん集まるとかなり生活、人生がバージョンアップされるのではないでしょうか。小さなことからコツコツと。
言うは易しと言いますが、実はまず一つ始めるのは簡単だったりもします

ポイント弐

二つ目。目標は、一時期に一つでなくてもよい。

TOEIC高得点、彼氏彼女を作る、転職、減量。これらの目標は、一つに絞らないと他の目標は達成できなくなるでしょうか。そんなことはありませんよね。
同時並行で進めてもよいわけです。ドットを複数打つということですね。
となると、現時点と目標点のシンプルな直線ではなく、複雑な線、いや3D、4D(Dimension:面)になっているかもしれませんね。
何をやればいいのか考えるのが大変で、目標から逆算せよ、イシューから考えよ(issue:問題)、選択と集中という自己啓発系のノウハウに逃げて、一つに絞って努力しよう!となるかもしれません。

わかります。わかりやすい方が、心中おだやかですからね。

しかし、本当にそれでよいのでしょうか?
そもそも、目標に向かって努力して達成する経験で手に入れたいのは、いままでの延長線とは違う自分なのではないでしょうか。
それならば、同時に複数の目標に取り組む方が、格段にアップデートされた今までとは違う自分に、より強いベクトルでグッと近づいていくと思いませんか。

リソースが足りない?もちろん、弁護士資格、公認会計士資格、医師免許などを同時期に勉強する人はいません。これらの勉強には勉強が得意な人ですら大量の時間が必要だから。

でもです。
思い出してください。

一つ目の「目標は小さくてもよい」というものを。
そして、余暇時間以外にも時間はあるということを。

そうなのです。TOEIC高得点という目標と毎日トイレ掃除という目標は同時並行可能なのです!どやっ!(トイレに行くことをレコーディングって言うらしいよ。なんで?音入れ)。
こうしたメインの目標とサブの目標を持っておくことは、序盤で説明した目の前の目標の先のさらに大きな目標に進む上での基盤づくりになっているのです。
英語の勉強をしながらもトイレをきれいにしておく習慣を身につけたら身なりにも気を使うようになって彼氏彼女ができるようになるということもありうると思うのです(提示できるエビデンスはゼロです…。許して)。
私たちは、音楽を聴きながら、心臓を収縮させ、考えてタイピングするなど、同じ時間の中で複数のことができます。
集中する課題があっても一日という単位であれば、複数の目標に向けて努力していくことだってできるはずです。意志と楽しむ気持ちがあれば

ポイント参

最後三つ目。本当に価値のある努力とは、自分のことを好きになる努力である。

努力。悲壮感ただよい、苦しい思いをして、つまらないことをやる。そんなイメージはありませんか。自分自身の行動で努力していると振り返るときの「努力」のイメージはまさにそんな感じだと思います。

走るのが好きで楽しくて毎日走っている人は、おそらく走ることを努力だととは思いませんが、いままで家にいてばかりで運動習慣のない人が毎日走ることを決めて走ったらそれは努力ですよね。では、なんでそんな辛いツライ努力を人はするのでしょうか。

一つには、恐怖から逃れるための努力があると思います。この試験に受からなければ降格する、運動習慣をつけないと病気が進行するなどです。

それらは、生活困窮や死の恐怖からくる努力で、実はけっこう実行モチベーションは高かったりします。ですが、その先にもっとなりたい自分があるかというと目の前の課題に取り組むことで精一杯でしょう。
楽しむ余裕はないので、この努力期間は人生の我慢の時間だったりもします。

このような努力に対して、ノタキラは、本当に価値のある努力、それは自分のことをもっと好きになるための努力だと思います。

試験で高得点を取ってみんなに認められる自分が好き、彼氏彼女に愛される自分が好き、痩せて人目を気にせず街を歩ける自分が好き。そんな欲求、期待、希望に支えられて行動する。

それが「努力」の真髄だと考えています。これが真髄ならば、おのずと見えてくることがあります。それは自分を好きになるためにする行動を他人と比べても意味がない。

歩き方のコツを掴んで前より疲れにくく気持ちよく歩けるようになったら、それでいいじゃないですか。
隣の人はもっと早く歩ける、あの人は歩幅が広い。それらは、あなたが気持ちよく歩けるようになるという目標、つまりは自分を好きになるための努力と何か関係がありますか?ということです。
あの人のフォームきれいだな、真似して取り入れてみようかな等、他人のことは自分をもっと好きになるための参考にするだけでよいとノタキラは思います。

まとめになりますが、目標に向かって努力するとは、「未来の素敵な自分」に恋して出会うまでの冒険だったりもするのです。試行錯誤、ハラハラドキドキ、そしてワクワク。

お盆にブログでした。みなさんの夏休みも良い日でありますように。

「Do-Ryoku!」は、そんな感じ。

fin.

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