「欲望」と「能力」の不均衡に苦悩があるとルソーは言った。
英語ができる自分
ここでひとつ自分の中の「欲望」と「能力」について振り返ってみる。
すると、英語が話せるようになりたい、書けるようになりたい、聴けるようになりたいという「欲望」と、現時点でそれが達成できていない「能力」であることがわかる。
ルソーは「欲望」と「能力」のギャップに苦悩を見出したが、わたしは完璧に英語が使いこなせるようになってしまったら人生おしまいだと思う。
「欲望」と「能力」にギャップがあるからこそ、そのギャップを埋める作業・過程が面白いのではなかろうか。
想像してみる。
英語を完璧に操ることのできる自分を。
たしかに、周りの羨望の的となる姿は、かっこいいかもしれない。人生余裕という空気感さえ漂わせることができる。
しかし、習得するプロセスを経ずして、瞬間的に能力が身についたとしたら、果たしてそれは、人生を過ごす上で楽しい行為だと言えるのだろうか。
ポケモンの事例
例えば、ポケモンのLv.100の裏技を序盤に使って、ストーリーを進めたとしても、そこには何の面白みも感じられないだろう。
やはり、ポケモンがLv.5という低いレベルから徐々にレベルが上がり、ステータスが上がり、新しい技を覚え、進化していくからこそ、育てたポケモンに愛着が湧き、戦闘で自信をもって戦うことができるのだろう。
成長過程を楽しむ
ポケモンの例からもわかるように、人生でたいせつなのは、成長過程をいかに楽しむことができるかなのだ。
楽しむために成長するのではなく、成長すること自体が楽しいから成長するのだ。
お金のために成長しようとするのは、おかしい。
お金で買える楽しさはあるけれども、身分相応にならないと、投資した額に見合った楽しさは味わえない。
成長する過程でお金を手に入れていくのである。
伸びしろステータス
人生はゲームだ。もとい、ゲームは人生の縮図だ。
生まれもったステータスは、人によって異なる。もちろん、特殊能力も。
コマンドは複数の選択肢の中から選べる。どのステータスを上げていくかは自由だが、タイムリミットが存在する。
全てを満遍なく上げたいところだが(そもそも全てとは何を指して全てなのだろうか?)、より面白い(他人とは違う)人生を送るのならば、なにか少しのステータスに時間と労力を振り分けた方が賢明である。できれば、伸びしろのあるステータスの方が良い。
何が、どんなものが伸びしろがあるかと尋ねられれば答えに窮する。
「好き」を原動力にする
巷で言われているのは、それをやっているのが苦痛でなく好きで、それをしていると時間の経つのを忘れるくらい集中できることだ。
本人が好きでやっているのだから、たとえそのステータスを磨くことに時間と労力を費やしても「無駄」に終わることはない。
能力を向上させる上で大切な継続性という観点から見ても、「好き」が原動力なので、その勢いは報酬や他人からの評価という外的な要素に影響されず続きそうである。
まとめ:能力向上の要点
- 欲望と能力のギャップを埋めるのが楽しい
- 人生では、成長過程を楽しむのが大事
- お金は成長過程で手に入れるとよい
- 伸びしろステータスに時間・労力を投資
- 「好き」が原動力の能力向上が最強!
「ポケモンに学ぶ能力向上」は、そんな感じ。
fin.